毎年、世界のベストセラーである聖書。
聖書の言葉はビジネス書にもよく引用されますし、人々に計り知れない影響を与えているのは確か。
でも、いざ自分が読もうとすると聖書の分厚さにまずビビります。
また、読んでも意味がわからなくて入ってこない!
そんなわけで読むのやめてしまうんですよね。
私も聖書を読もうと思ったものの、全然読めない1人でした。
頑張って読んでも自分が変わった気もしないですし。
何か、読み方違うのか?
でも、ある時から聖書の読み方がわかったわけです。
そして、読み方がわかると読むのが楽しくなって、スルスルと読み終わってしまいました。
なので、もう一度最初から読もうと自然と思えるようにらなり、もはや何度も通読を繰り返しています。
読み方がわかると聖書とは異国の話ではなく、非常に今の自分と関わっているではないか!という発見に満ちていたのです。
そんなわけで、別に牧師さんでもないですが、私がやっている聖書の読み方をお伝えしますね。
聖書は理解しないで読む!
もちろん、最初は普通の本のように内容を理解しようとして聖書を読んでいました。
でも、意味ばかり考えてしまって謎は深まるばかり。。
聖書って、難解で自分には到底わからないものなんだな。。と、何度も挫折。
そんなわけで、意味を考えないでただ文章をひたすら読むことにしてみました。
意味を考えないで読む
なんて言うと、そんなんでわかるわけないじゃないか!と思われそうですが、結論は理解せずに読むのがベスト。
なぜなら、理解しようとして読むと聖書って矛盾だらけ。
理解って結局、自分の理解力を通して読んでしまうわけです。
例えば聖書に「刺青をしてはいけない」とか「酒に酔ってはならない」と書いているからと言って
刺青を入れている人や酒を飲んでいる人がダメってことじゃないです。
だって刺青を入れている素晴らしいクリスチャンもいますし、イエス様だってぶどう酒を飲んでいたわけですし。
そんなわけで、理解しようとすると間違って読んでしまいますし、人を裁きやすくなってしまいます。
間違うくらいなら、意味を理解せずにバーっとひたすら読むのが大筋から逸れなくて済みます。
それじゃあ聖書読む意味あるの?
意味を理解せずに読むなんて、聖書を読む意味あるの?なんて思っちゃいます。
しかし、やってみると意外と楽しい!
しかも、バーっ読んでいるとまさに自分のための言葉なんじゃないか?という聖書箇所がズバンと心に入ってきます。
聖書は頭で読むものじゃなく、理解するものでもなく
ただ受け取るものなんだな、と実感させられます。
そこが、本との違いですね。
どのくらいの量を読めばいいの?
聖書を意味を考えないで、ただひたすら読むにしても
最低限どのくらい読めばいいかわかりません。
目安なんてあるの?
私の場合は一度にだいたい10章くらいを一気に読んでしまいます。
そんなに読むのか。。と思われるかもしれませんが、字面を追うだけですし
黙読なら比較的早く読めます。